世界一の「論破」へ
ラッパのマークの論破
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今回はとあるBlogに感化されて、思ったことを書きました。
政治的で興味のない人には苦痛かもしれません。
ですが、これも含めて沖縄県です。
是非、ゆっくりで構いませんのでお付き合頂ければ幸いです。
今週の本題でーす
その昔、人は狩りや採取をして生活していた。ある頃から、この界隈で効率よく木の実を見つけてくる人や、大物ばかり仕留めてくる優秀な人材が出てきた。彼らは時としてその作業の時に中心人物としてグループを統率するようになってゆく。彼らの統率はその行為の時に収まらずその他の生活にも影響を及ぼすようになる。時は流れ、農耕民族と化した日本人は「あるまとまった集団」で稲作を行い、ともに協力しながら生きていた。困ったことがあればみんなで集まり考え解決していく中で常に皆が驚くような方法を提案するものや、上手に話をまとめていくリーダー的存在が出現する。彼らは後に村の長(おさ)となり村の運営を任されることになる。そこには様々な運営方法が存在する。一方的な意見で村人を引っ張って行く者、いつも村中の人を集め問題の解決を相談する者、お抱えの占い師から「神のお告げ」を聞く者等 様々である。
ある時、村人は深い悩みにさらされる。「乾季」である。乾季は稲作において最大の敵であろう。当時、暦はあっても毎日の天気を知ることはできない。作物の病気は隔離や処分で対応できても「雨が降らない」はイコール作物の全滅を意味する分けで致命傷である。困った村人は村長(とある村では村長=占い師であることもあった)に相談する。どちらにしても時の権力者は三者三様でこの難問に挑む。あるものは「雨乞い」のために踊りを行うと良いと話、あるものは煙を焚いて神様にお願いすると良いと話、またあるものは生贄を授けると良いと話す。村人はそれに習いそれらを実行して行く、うまくいかなかった時にその理由を尋ねると時の権力者は「量が足りない」と話し、あるものは「儀式中の村人の態度がいけなかったと」話す。村人を路頭に迷わすことが無いように時の権力者達も必至である。
根拠のない指導でも、偶然雨が降れば権力者の株はうなぎのぼりで上昇、瞬く間に村人の信頼を勝ち取って行く。またはその逆の指導者もいた。
とある現代の勝ち組は話す「昔は道具の調達から製造、それを使用して目的を達成するまで、他人に頼ることなくこなしたのが普通だった。2018年の今、PCのマウスさえも1人で作る事ができない時代になった。原油の採掘からプラスチックの加工、電子部品の組み立てまで1人でこなす人を、少なくても私は知らない。」何が言いたいのかというと、人間は自分が持つ専門分野と他人が持つ専門分野を組み合わせることでより複雑な製品をつくり出すことで進化しているということ。これは社会でも同じような現象が起きており、生活のレベルでも同等であると言える。一見他人と関りを持たなくても生きていけるような気がする現代だが、実はその逆で、他人と関りを持たなければ生活が成立しなくなってきているという事。この発想は現代の権力者達にも当てはまる。社会が複雑化した今、独裁での国家の運営は難しくなった。そこで生まれたのが運営側が集団化すること。同じ志を持ち かつ、違う分野に秀でた人々が集まり様々な脳で1つの、または複数の問題の解決を見つけ出す、政党や政府等のあるまとまった軍団が誕生したわけである。
この頃にはすでに社会は「物々交換」では成立しない「通貨」という新しい基準が生まれた。この基準は生活の全てにおいて支配的に存在するようになった。村人を守るために働いてくれた村長へ差し入れた米や果実は、いつしか村を守った代わりに年貢として納める制度と化し、気が付けば物の代わりに税金として通貨を治めるようになった。
「世の中は金」の時代である。金を得るために人は働く、いつの間にか権力者達も地元のために働き その報酬を税金でもらうようになった。つまり「職業政治家」の誕生である。人は金を得るために働く、政治家もこうなった以上例外ではなくなる。
政治家であり続ける為には人気が必要だ、その人気を得る一番の方法は昔と変わらない方法、広く地元の人々に「目に見えた成果」を披露すること。「目に見えた成果」さえあれば政治家は政治家(=報酬をもらい生活をすることができる)でいられる。こうなれば逆算だ。どうすれば地元の人々に喜んでもらえるのかを考えて形にする。文章にすればたったの一文だが、ここが政治家の一番の腕の見せ所でしょう。誰でもできるものではないと思う。さすが民
代表するだけのことはあると一目置いてしまう。
お気づきでしょうか?お金が関わると政治家は地元民に披露する「ネタ」が変わるのです。「自身の本当にやりたい事」より「皆が喜ぶ事」が優先されるからです。何か歪んでいるような気がするが、これで地元民は喜び政治家はその報酬を貰えるというWIN×2の関係が完成することになる。
前述したが「世の中は金」 誰が言ったか知らないがそんな言葉が誕生するほどお金は生活する上で非常に重要なものになっている。政治家目線で言えば、地元の人々に喜んでもらえる特効薬は「金」を地元に入れることである。その結果、大型施設の誘致・建設。長期プランの道路整備事業や区画整理等、よく行政が口にする言葉が並ぶことになる。
沖縄にはそこに米軍基地が存在する。
沖縄は、政治家が地元に「金」を入れる特効薬の選択肢が他の地域より一つ多い訳である。しかもこの特効薬は「効果てきめん」で一度定着すればほぼ長期に渡り、なぜか巨額のお金が日本側から自治体へ支給される。さらに、そこで働く軍人達やその関係者が惜しみなく地元に金を落とし、地元は非常ににぎわう事になる。この効力は恐ろしさを感じるほどだ。政治家ならばこの特効薬を使わない手はない。
しかしこの薬は「覚せい剤」のように依存性が高く非常に危険でリスキーである。それに気づいた人々は薬の使用を禁止するように訴えるが、それが届かない人々も多く存在する。
経済においての「覚せい剤」が目の前にある沖縄県、「覚せい剤」を使用中の母体が妊娠をした時その子供にはどんな影響が出るのか考える、勉強する必要があるのではないか? 「金」も非常に大事だが、「それよりも大事なものが世の中に存在しないのか」深く深く、考えてみる必要があるのではないか? 決して「覚せい剤」を肯定するつもりはないが「覚せい剤」を止められない人々を見ていると、素人ながら「覚せい剤」は人類史上最強の現実逃避ができる薬で、とても素晴らしいものだと思う。人間の精神力では制御できない、それほど危険で止められなくなると言う事だろう。
話を少し前に戻そう
地元民と政治家のWIN×2の関係は非常に素晴らしいシステムだ、そのシステムを地元民は上手に利用することで政治を変えることができる。率直に言えば「覚せい剤」じゃないものを求めれば良いのである。政治は政治家が行うものではあるが、政治家の本来の役目は、地元民が求めたそれを元にその要望を実現するために政治活動を行うのが政治家の務めである。政治家は交渉能力・法律知識・中央への影響力をひたすらに磨き上げる努力をし、地元民はその政治家にどのような行動を起こしてもらうかを決める役割を持つべきではないでしょうか。政治家が政治の専門家ならば地元民は地元の専門家である必要があると思う。政治家がひたすらに努力するように地元民も地元をよく理解する努力をし、専門家になる必要があると思う。
地元を将来どういう土地にするのか、決めるは地元民の務めで当たり前の権利だ。
政治家の声を聴くより前に、自分の意見があるか無いかのほうが極めて先で重要である。
これだけ書いておいて前述を論破してしまうような話をすると、最近では良くも悪くもインターネットが存在する。昔のように政治家を通さなくても個々が政治活動を行うことが可能な時代である。意気投合するBlogを見る事もよし、私もそうだが自分の意見を世界中に発信する事も出来る。そして、今日紹介するような活動が世界の裏側で起こっている事やそれに参加することができる。やるかやらないかは自分次第、考えがあるなら後は行動に移すだけだ。1っ歩踏み出す勇気さえあれば個人が政治により介入しやすい世界になった。昔に比べれば、サッチモ(=ルイ・アームストロング)じゃぁないが「what wonderful world」だと思う。
感化されたBlog
サッチモ「何て素晴らしい世界」
私たち 琉装している琉球民族です
来沖してね みんな待ってるよー
もう貴重な一枚ですね
もっと知って下さい沖縄のこと・名護市のこと
では、今週も「にふぇーでーびる(琉球語=(人”▽`)ありがとう☆の意)」でした
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シーサーとキジムナーより