ウムウム決定的瞬間
電車も・バスもウムウム
ウムウム ビミョーに非日常系学園ストーリー!
リゾートが
できるまえの…
遥かなる
太古の
伝説の
海辺で
ボクらは
出会った…
混沌とした世界彷徨える
旅行者たちのジグソー…
明日の英雄のポッケから
溢れ出す太古の音楽…
『ワンピース』が始まる…
こころのボクは誰で
どこから来たのだろう…
国境を越えたとき
自分を超えたような気がした
バカで短い自分の足が
ここまでやれるとは
正直
思ってなかった…
彼らと海岸で出会ったとき
腕のタトゥーに「グハッ!」となった
鈍色のナタをブラブラ寄ってくる
最初「殺される?」と一瞬焦ったが
とてもいい人で
釣りを親切に教えてくれた…
彼らはもちろん
ボクの障害を知らない
海外では誰も…
彼らはボクの目の前で
さざめく星空のような波の奥から
小魚を一匹釣り上げた…
しかしボクの胸には
喜びが湧かなかった…
ただ 一人になりたくなった
そのとき漠然と大きな壁を感じた
健常者と障害者の間にたたずむ…
国境を越えたとき
自分を超えたような気がした
見えない障害を
そこに置いて…
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日本人(スーパーチーノ)の行方
迷宮縹渺たる一番あかるい信仰
「テレビが伝えない真実」
NHK2π÷武田邦彦+dx2
(´・ω`・)エッ?=…
我々は(本当に存在して)いるのか
声をお聞かせ願いたいのです
みなさんは生きていますか?
我々にとって最も辛いこと
それは【共有】ですよね?
無理をする必要はありません
どうぞ隠したい人は“隠れ家”へ
潔癖症といってもさまざまです
ボクは化学物質に過敏なタイプ
だから太古の海辺を愛した…
カリブ海のこともっと知りたい?
サントドミンゴ大阪とは?コチラ↴
【秋】といったら十人十色ですよね?
ハレコロ = Canva + VistaPrint
Canvaとは有名な無料デザインサイトのことです
テンプレートが豊富で操作もとても簡単
しかも海外のデザイナーたちと協力して制作することも
今回はボク一人で制作してみました
次にVistaPrintをご紹介させていただきます
簡単にいうとネットプリントサービスですね
美しいデザインをコンビニで印刷するのはもったいない
プロデザイナーの大半は家で印刷しているらしい
しかし初心者にそれは難しいですよね
そこでVistaPrintの出番というわけなのです
VistaPrintならこんなこともできちゃいます
ボクはプレゼント用にマグカップを選びました
初めてなので多少つまづきましたが大丈夫でした
お電話での問い合わせにも親切に対応してくれました
注文後約一週間で届きました
丁寧な包装をドキドキ開けていくと
素晴らしくキレイなマグカップがでてきました
ポストカードだって素敵すぎます!
【ブログ出演者 大募集!】 とのことw
本日の迷言
「ドコデモ潔癖症のカエルで
男はつらいよJAPANESE」
生きるとはどういうことなのだろう
湧き起こるワクワクドキドキ💓…
サイコーのカタチで旅の思い出を保存できました
なんだかボク一人だけこんな贅沢もうしわけないです
みなさんの努力でボカァここまでやってこれた
障害年金だってみなさんの汗と涙の血税
なのにボカァなんの恩返しもデキナイ男なんだな
寅さんじゃないがプータラ一人旅してそれで人生おわり
重い腎臓病患者である母親もいたたまれませんよ
こりゃあブン殴られてもしかたね?
生まれてすみませんでした
障害者に生まれてすみませんでしたm(__)m…
いやまぁ、ずっと健常者として生きてきた身なんですよ
激しい競争の波のなかで自分を健常者と信じて疑わず
ヤッター勝った~ウワー負けまくり~とやりあってきて
それがここにきて急に発達障害だのいわれてもねぇ、、、
まぁ、実は小学生の頃ヤブ医に診てもらってたんですが
高額なセミナーだかを勧められてそれっきりだったんです
|ω・)マジカヨ
健常者てフツー読まないじゃないですか
医学を志すわけでもないのに障害者の本なんて
|ω・)オレドッチ
自分のことすらわからないまま手帳を授与され
これまでの人生に片目をつむり
新しく?ポケーとプータラ作業所だかに通いながら
障害年金の相談で市役所に蹴られて
社労士さんに当たってって日々ですよ
発達障害しかもドコデモ潔癖症のカエルで
男はつらいよJAPANESE…
いちおう、医師が書いてくれた診断書が優秀らしいんで
障害年金もらえそうとのことですが(‘◇’)ゞ
イッテQに手を振って
この本、読んでまっす(‘◇’)ゞ
(無料電子図書)
【2014年 「秘境の車イス」 電子書籍】
画像のサイト名:Travel for All
関連サイト名:障害者の旅行を考える会
(アフィリエイトなどではございません)
しばらく冬眠しまっす by ハレルヤ・コロンブス
あ、そうそう
秋といえば、、、
で
すよねw
特大半額セールでした|ω・)ヤリスギ
梅シラスメカブタマゴごはんうどん
最近ハマってまっす|ω・)ウムウム…ハ?
つけもの鍋
つけものって、茹でるものなんですね|ω・)アハハ
ツイッターほったらかしだったんですが
某社のCEOさんがフォローくれてました|ω・)💦
~~~~~~~~~~~~~~~~👇通院👇~~~~~~~~~~~~~~~~
“
かなりしんどいです。大人となってからはお昼の太陽光を見るとなぜかすぐにフラフラになったり、首や肩が(常識では)考えられないぐらい凝るのですが、潔癖症のため机に伏すこともできません。ホテルのベッドとかならなんとか大丈夫なのですが就労移行のベッドには馴染めません。お昼からの半日通所がやっとです。朝からは絶対無理です。(個人的な)旅行とかも朝から動けずかなりしんどかったです。就労移行での朝からのトイレ掃除が特に辛いですが「できるところだけでいい」と言われてなんとか続けてこれました。自分一人だけ掃除をやらないなんてまわりに申し訳なさ過ぎて気が疲れます。少し無理をしました。しかし先日も母親に靴を少し触られただけで靴を洗うこととなり、「辞めます」と電話して休暇をとらせていただきました。
大人となってからこんな話をするのは今回が初めてです。心も沈みがちです。笑うとなんだか辛いのです。情緒不安定なときはそっと一人にしてほしいです。ボクは小学生ぐらいの頃から時々情緒不安定なのですが、オシャベリな母親が理解せず共に泣いたり笑ったりしながら長い説教口論をしたり父親を呼びつけて叩く蹴るの土下座をさせていたのもあってか、今では母親の声を耳にするだけで情緒不安定となり心と会話が乱れがちです。父親は真面目な学校教師なのですが半面とても高圧的なペドフィリア(幼児性愛者)でした。本棚にチャイコフスキーやマルクス論と小学生のヌード写真集が並んで置いてあるのは異様な光景でした。ですが幼い自分はそれが当たり前のことなのだと信じ込まされ教育とは無関係の厳しい虐待に泣かされ続けました。ですが言葉もままならない障害者という“弱者”の叫びは人々に信じてもらえませんでした……。
しかし、いまとなって振り返り思うと当時は児童ポルノ法もない時代でした。父親の呑み仲間も含めてそんなヤクザな腐教師は吐いて捨てるほどおられました。実は自分も障害者としては初体験も早いほうで小学生の頃でした。小学生なのですからセックスといってもたかだが知れているのですが相手の女の子は男兄弟の中で揉まれて育った男っぽい性格で、当時すでに自ら男に手を出して遊びほうけていました。子供同士のセックスなどそう珍しいことではない時代でしたし、少年時代という儚い夢の一夜が過ぎ去るまでの間だけの仲です。子供同士ならそこに傷々しい上下関係もなく…至って平和でした。
ところが或るとき、なんとそこに“大人”が介入してきたのです!!。どちらが誘ったのか詳しい経緯は時空の彼方に埋もれて還ってこないのですが!!、彼女を襲ったのはなんと近くの中学校の若い男性教師でした!!。彼は即刻クビとなりました。ところが彼女はその後もますます暴走していくようでした。一方、ボクはというとその頃にはもう父親と同じ食卓で食事することすら嫌でした。幼児性愛者ほど高圧的なものはありません。しかし大きくなって海外の目からみれば時代の日本自体ロリコン文化でできているようでした。ペドは日本人そのものです。誰も強い者に従い従わせようとするだけ。それらは腐敗の中で生まれた“意識をもった罠”のようでした。大人となったボクは「父親を振り切る旅」に出ました。そんな男についてこられるのは誰だって嫌なはずです。しかしどうしたことか国内旅行には必ずついてきて感謝を求められるのです。しかたがないのでボクは(オンボロの翼で)思い切って“海外”へと飛び立ちました。父親はついてこれませんでした。実は彼は一度も海外旅行を経験したことがない男なのでした……。
日本人を卒業した先に何が待ちうけているのか、それはまだボクにはわかりません。ただ、文章作成は練習してなんとかなったのですが、それでも書くのにかなりの時間がかかりますし後からの訂正だらけです。どれだけ練習してもペンの運びが速くならずところどころでつまります。他人と直接会話するときもスムーズに言葉が出てきません。というよりもなぜか声に上手く心の感情が表出されないので相手にあまり上手く伝わりません。怒っているように受け取られてトラブルとなることもしばしばです。感情表現が難しいです。それプラス自分の声がキライです。オシャベリが苦手でオシャベリを好きになれません。オシャベリな人はオシャベリが得意なのでオシャベリを好きでいられるのだとボクは思います。
医師M様への手記
”
医師:文章お上手ですねぇ
ボク:そうですか?
2018年10月23日、母親同伴で田舎街の病院へと歩いた。医師は小柄な年配の女性の方で、自己紹介で書いた上記のプリントを上品にプクプク褒めた。声が近頃の若者のキャンキャンした声ではなく『まるみ』をおびたやさしい響きなのだ。なのでボクはその女医を“まるみ様”と呼ぶことにしたわけで。女医まるみ様にアドバイスをいただき『クスリ』か『カウンセリング』どちらにしようか迷って、けっきょく答えが出ないまま帰途についた。光や音に神経が過敏すぎるとそのような症状がでてしまうのらしい。そこで眠くなるクスリと神経を緩和しストレスを和らげるクスリを勧められたのだが、けっきょく受けとるには至らなかった。自分は風邪も気合いで吹っ飛ばすほどの根っからのナチュラリストだし、日頃クスリ漬けのボンヤリとした表情の障害者たちを嫌というほど見てきた末のことだったので自分までそうなろうとは思わなかったのだ。「クスリよりも音
療法が必要なのでは(。´・ω・)?」。上のほうは光り輝き下のほうだけが暗くわだかまる深い絶望色の瞳のような雲たちの、どんよりとした暗い暗い秋空の奥、ふと、いつか耳にした昭和の音楽が流れていた。母親は手がちいさい。母親が重い腎臓病を患う前、その瞳は雲間の太陽そのもので、ちいさな手はシワひとつないちいさな手だった。「繋いでいたかった」。いまではもうボクが潔癖症だから繋ぐこともできないけれど。風に舞う枯葉のように。ふと、母親が外食して帰りたいと言いボクは後について歩いた。母親が「どうしても」と言うので。
手は 木の葉は どうして繋ごうとするのだろう
汚れていくだけの 暗い空の下…
田舎街のデパート西友の店内にはいろいろな音楽が流れていた。明るい賑やかな人生のような音楽もあれば、暗い暗い孤独な人生のような音楽も・・・・・・。貧しき者たちほど救け合えないものなのだろうか。死語と化した『平等』の奥つぶれかけの古びた工場群と続く就職できない障害者たちの列。不正労働不正賃金不正受給不正削除・・・・・・。“障害者”という人生の奥こころの自立は簡単だけど経済的な自立は難しい。ボクが歩く道には冷たい風が吹く。今日まで長く険しい道を無限に歩き続けてきた。時にはさざめく木立の奥に明るい夢を追いかけもした日もあったかもしれない。少年時代のボクには明るい音楽しかなかったと言ったら嘘になるけど、少なくとも中学高校までは虐めも自殺も地震も津波も知らないどこ吹く風の少年だったのだから。もちろん、障害についても一切なにも・・・・・・。
障害者って なんなのだろう
どうしてそんなに 嬉しそうなんだろう…
なぜなのだろう。平成という時代の奥には、“悲しみ”が、悲しみがこんなにも溢れかえっているのに、明るいダンスミュージックだけが巷を流れ続けている。なぜなのだろう。少子高齢化社会の『哀歌』という死語の奥に鬼束ちひろや氷川きよしぐらいしか思い浮かばない。なぜなのだろう。3.11の時ですら瓦礫のような壊れたNHKの奥からのどかな癒し系の音楽が流れているだけだった。
真っ白な雪道に 春風香る
わたしはなつかしい あの街を思い出す…
どうしてなのだろう。麻酔をかけられた眠りの国の奥こころが麻痺していく。どんどんどんどん麻痺していく。もう他は全部死に絶え続けているかのように、なにも聴こえてこない・・・・・・。
『哀歌』たちはどこへ羽ばたいてったのだろう ―――
誕生日、ボクは一人、曇った冷たい冷たい大空を見つめ続けた。祝いも祭りもキライ。負の感情の奥に閉じこもりきらりきらり雨だれが降ってくるだけ。人生の・・・憎しみ、恨み、嫉妬、怒り、執着した愛情、悲しみ、孤独感、自己嫌悪、自己憐憫、自己満足、苛立ち、不機嫌・・・ボクも誰も瞳からそんな憂鬱ななにかを遠ざけ遠ざけ明るいどこかへと羽ばたいていく。こころの闇と孤独。誰も悲しみと向き合おうとしない。たとえようもなく脆く儚く自ら生命を脱ぎ捨てるように、雲の奥に引きこもり消えていくだけ・・・・・・。遺されたボクも誰も悲しい音楽なんて聴きたいとも感じやしないし、共に誰かと泣こうとも思わない・・・・・・。
どうして共に笑い
共に泣くんだろう…
絶望の向こうに夜明けなどあるのだろうか。大人となったボクは一人サックスをはじめた。「ボクの音楽はホームレスとなったベートーベンの第九といったカンジ(。´・ω・)?」。作曲も下手ッピなりに一人頑張ってない。すべてに疲れ果てた・・・・・・。水平線につぶやく年老いた影。障害者のボクはさすらいの旅人となり無限にどこにもいない。もちろん海賊や暴走族でもないしましてや起業戦士や政治学者なんかでもない。障害者には闘う相手すらもいない。羽ばたいた翼たちの多くは明るい音楽だった。「風よ大空よ・・・」。多くの明るい音楽の翼たちの奥、ときどき、悲しい音楽を一人吹いている。瓦礫の音楽。〈悲しみの翼〉が生えて孤独の風と涙の海を越えていく。『青春』だとか『情熱』だとか『思いやり』だとか『哀れみ』だとかいった言葉では表現しつくせない、それらは『翼』なのだ・・・・・・たぶん。
・・・・・・田舎街のデパート西友3Fの古びた喫茶店の手前で母親とボクはエスカレーターを降りた。そこは見覚えのある場所だった。たしかそこは保育園の頃に母親と手を繋いで入ったことがあった。なんとそこはいつかの遠い日の『おこたまらんちのみせ』だった・・・・・・。ふと、その時のままでさざめく現実の店内を昭和の音楽が抱きつつみ、風の瞳は窓の外をじっと見つめ続けた・・・・・・。
母親:お金は私が出すから
ボク:いやもう大人だから割り勘するよ
石原真治 : 風と吟遊詩人 (廃盤)
虐待で国が親が儲かるだと?
フザケルナ医療費負担しろ!
しかしどんだけトンガッテも
カエルはカエルなのでした
快・不快だけしかないような教室で
神様にまで気持ち悪がられました
しかし逆境をバネに頑張っても
カエルはカエルなのでした
もう男として立つ瀬も着る服も無く
お酒の池にカエルは裸で身を投げました
ポッチャリそこへとネコの魔法使いが現れ
〈立派な人間の皮〉を与えてくれました…
発達障害/潔癖症の旅は本当に辛いです
そんなの自分だけかもしれないけど・・・希望になれば幸いです
「虐待の過去を背負いながら親の介護をする」
それは辛いけど・・・人間としてとても立派なことです
「この腐った世界から児童虐待を根絶する」
みなさんと共に考えたいです・・・後世の為に!
by ハレルヤ・コロンブス