バスケ 変わろう。変わらないために。
こんにちは。
自分開花起業プロデューサー、
癒さない魔法のセルフイメージアップの専門家、
堅田不二子です。
私の半世紀に渡るストーリーをこれから、お話していきますね。
私は、1960年代に、秋田県秋田市に生まれました!
家は、祖父の代から靴の卸売業と小売り業を営んでいました。
父は、子供の頃から頭が良くて、東京大学まで進学したのですが、
体が弱く、大学時代に結核になり、やむなく秋田の実家へ
帰ってきたという経歴。
母は、秋田市内の老舗の仏壇屋の次女。
やはり、東京の短大に進学したものの、実家へ戻り、
花嫁修業中に父から熱望されて、嫁いだという経歴。
私は長女で、年子の弟がいます。
家は商売で忙しく、お店と家がつながっていたので、
私は幼少期から、お手伝いさんのお姉さんと行動していました。
母は、いつも父の傍で、働いていたのです。
元々、父はあまり商売に向いていない性格だったので、
お店を閉めて、家に帰ってきても、機嫌が悪いことが
多かったです。
機嫌が良いときは、酔っ払って、私に
飛行機をしてくれたことを、よく覚えています。
しかし、機嫌が悪いと、
私が、テレビを観ていても、
「こんなくだらない番組は見るな!」と、消してしまったり、
「世の中、バカばっかりだ!」とか、
「人間はズルいやつばかり・・・」とか、
ネガティブな発言ばかりしていました。
父の機嫌が悪いと、怒鳴られるので、
祖母も母もいつもピリピリしていたと
記憶しています。
私は、そんな、家庭の雰囲気が嫌でした。
なので、父が帰ってくると、そそくさと
自分の部屋へ行き、本を読んだり、
絵を描いたりして、空想の世界へと
逃避していました。
小学校に上がると、父の仕事は忙しくなりました。
秋田市の駅前にできた、ショッピングセンターに
支店を出したのです。
それに伴い、母も忙しくなり、
私は、学校から帰っても、家には祖母しか
いませんでした。
それで、ますます、私は家に帰るのがつまらなくなって
いきました。
小学校では、陸上部、合唱部、バスケットボール部と
部活を掛け持ちして、夕方まで、家に帰りませんでした。
父は、一度も、参観日や運動会に来てくれたことは
ありません。
家族で旅行に行くことも、ありませんでした。
そんな、家庭環境で、私は、徐々に
空想の世界で遊ぶのが大好きな少女になっていったのです。
続きは、こちらの記事
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