昼夜逆転 前略、手塚先生。21世紀に間に合いました。
こんにちはまひろです
こちらの記事は、私がブログを書き始めたごく初期の
2年前に投稿させてもらったものです。
その頃から比べると
読者登録くださる方もずい分増えましたので
加筆して、再掲させていただきます
よろしければ最後までお付き合いくださいませ
不登校の子の母 8つの心得
なんか、お説教が始まりそうなタイトルですね
でもこれ、私が考えたわけじゃないです
私がかつて先輩ママから教わったこと。
そして、もしかしたらこれのおかげで
うちの息子は今
健康な人と変わらぬ風に大学生してられるんじゃないかな…
とかさえ思うものなんです。
今不登校の渦中にある方のうちの誰かの
何かの参考になるかもしれないと思い
紹介させていただきます
我が子が学校に行きづらくなったのが、小学校5年のGW明け。
今から11年前です。
その頃、なぜか私の周りには不登校の子の母が4人おりました。
全員ご近所さんで
しかも全員が男の子のお母さん
皆さんお子さんがうちの息子より年上で
不登校中、あるいは不登校を卒業された方々でした。
私はその方々に
小5から、本格的に不登校を発症する中1の冬までの2年半に渡り
「不登校の子の母たるもの」を
折にふれ、教え諭されたのでした。
それはこのようなものでした。
1. まず、学校に行けなっくなった子は疲れ切っているから
自宅をとにかく居心地のいい場所にして
美味しいものを食べさせて、温かいお風呂やお布団を準備して
家庭を心から安らげる場所にする。
2. なんでも好きなことをさせてあげる。
ゲームでもPCでも、なんでもこの際OK。
勉強しろなんて、絶対言わないこと。
3. 何をしててもいいけど、なるべく昼夜逆転はしないように。
生活リズムは大事だよ。
4. 母はいつも笑顔でいること。
子どもにばかり構ってないで、自分の好きなことを好きなようにするのがいい。
子どもの不登校なんて、気にしてないわよ~のような態度を、嘘でもいいから見せる。
5. 夫婦は仲良く!子どものことをめぐって喧嘩するなんて、NG中のNG!
お父さんとお母さんはそろってあなたの味方だよ~という雰囲気が大事。
6. 学校とは密に連絡を取っておく。特に担任は味方につけておくこと。
少々不満があっても所詮子どもは先生にとって1/40と諦める。
不足を言うよりも、相手を褒めるくらいの気持ちで接していれば
喜んで我が子のために動いてくれるようになる。
7. 学校のPTAの委員は進んで引き受ける。
学校からの情報も入ってくるし、学校側に好印象を与えることができ
担任が使えない(役に立たない)とき
教頭や校長に直に話を持っていきやすいし、力も借りやすい。
そして極めつけがこれ!
8. 子どもを助けてくれる人が必ず一人は現れる。
(…各々の具体例を挙げて説明…
A太郎君が体育祭に一緒に出ようと言って、毎日家まで迎えに来てくれた、とか。
B輔くんがテスト前に勉強を一緒にしようと誘っては家に遊びに来てくれた、とか云々…)
いざという大事な時に助けてくれる人が、絶対に1人は現れる。
でも最初は、誰がそうかはわからないから、とにかく友達を大切に!
小学校5~6年の行き渋りの頃は、病気だなんてツユとも思わず、
脅して・なだめて・叱って・褒めて、あの手この手
飴とムチを駆使して、なんとか学校に行かそうと、毎朝格闘しました。
う~ん…。お互い、毎朝しんどかったね
中1になり、小学校での不安を払拭するかのように
必要以上にがんばっていた息子。
学校の勉強はもちろん、部活は週末も休みなしで
夜は夜で塾にも行って…。
そのそれぞれで120%頑張りまくっていました
中1の秋ごろから様子がおかしくなり、
このままじゃいけない、いつか倒れる…
そう思い、止めようと試みるも
がむしゃらに突き進む息子を制することもできず…
そして遂に、冬休み明け3学期の始業式の日、クラブを終えて帰ってくるなり
「もうあかん。もう、クラブも学校も、よう行かん…」と、玄関で倒れ込んだ彼。
そして、「死にたい…」と。
真面目な彼の中では
学校に行けない自分=ダメな人間=生きている価値のない人間=死んだ方がまし
のような思考回路が出来上がっていたみたいです。
いやいやいやいや
死んじゃあ、いかんよ!!
「あなたが生まれてきたとき
お父さんやお母さんがどんなにうれしかったか。
おじいちゃんもおばあちゃんもどんなに喜んだか。
生まれる前から、あなたはみんなから愛されていたんだよ。」と
必死で諭しました。
すると彼は
「生まれてきた赤ちゃんが、僕じゃなければよかったのにね。」
と言ったんです。
学校に行けない、こんなダメな自分じゃなくて
もっとみんなに愛されるにふさわしい、立派な子どもだったらよかったのに…、と。
なんちゅう自己肯定感の低さ…
ここまで我が子を追い詰めてしまったのは、ほかでもない周りの大人
とりわけ母親の私だったんだ と
今となっては思います
身も心も疲れ果てて、まるで伸びきったゴムのような彼
1. 居心地のいい場所で、まずはゆっくりしてもらいましょう。
2. なんでも好きなことをしてもらいましょう。
眠れないタイプの彼はPCやゲームをして
気を紛らわせているようでした。
笑ってくれていれば何でもOKって感じでした。
(当時から我が家はノーパソが息子・娘・私の分の3台、リビングにあります。
だから彼は引きこもっていても、自室ではなくリビングにいました。
今はパパさんのも加わり、4台に増殖しています)
3. 昼夜逆転はしないように
そうだね、これは小5の時から守っていたね。
学校に行かなくてもいいから、朝はある程度早くには起きるようにしようねって。
よほどのことがない限り、9時頃までには起きてました。
(彼は当時から学校に行かなくてよいと思うと、比較的朝は起きれていました。)
4. 母はいつも笑顔で
これ、最初はきつかったです
死んだ魚のような目をしてうなだれている我が子を前に
誰が楽しそうに笑うことができるでしょうか
でも、私まで暗い顔してたら、それを見た息子がますます絶望して
思い誤って死んでしまうかもしれません
それだけは食い止めなければと必死で明るいふりをしていました。
でも、ある程度時間が経つと、慣れって恐ろしい…
笑えるようになるんですよ~
子ど
が休んでいても、平気でランチでも飲み会にも出かけられるようになりました
5. 夫婦は仲良く!
そして、これが8つの中で一番難しかった…
当時中国に単身赴任中のパパさんに
無駄に心配させたくないって名目で(実は説明が邪魔くさかった?)
黙ってたら、言うタイミングを逃した的な…
それの積み重ねで、パパさんに相談せずに
何でも私が勝手に動いてしまい
後から知れて、叱られるわ拗ねられるわ…
夫婦仲よく…は、とても難しい課題でした…
人にエラそうには言えません、はい
6. 学校とは密に連絡を取っておく。
これは私、得意科目です
もともとボランティア好きで、息子の幼稚園時代からよく
子ども会やPTAの委員を引き受けていました。
中1で倒れた時も、ちょうど学級委員をしていました。
とにかく先生と仲良くするのは得意だったんです
(変なところを自慢するヤツ)
7. 学校のPTAの委員は進んで引き受ける。
あら、6.とかぶっちゃった
えーっと、結局、中1から高3まで、PTAの学級委員を毎年引き受けてました。
ただの役員好きと言われればそれまでですが…
これは性格的なものも大いにあると思うので
無理な方にとっては信じられないことかもしれませんね。
でもね、一度やってみると、便利なことの方が多いんですよ~
なんてったって、学校の情報が入ってきやすいし
先生方の顔も覚えれるし、子どもらにも睨み()が効くし
とにかく、学校関係で味方をたくさんつくることができるんです
大きな役は無理ですよ
特に高校なんて、いつ出席足らなくなって
フェイドアウトするかわからなかったから
四役や委員長等の依頼は断固辞退し
その代わり、ヒラならやりま~す!と、立候補してました
そもそも中高の学級委員なんて
「長」と名の付くものしなきゃ、たいした用事もないんですよ
そして極めつけ
8. とにかく友達を大切に!
これは息子ががんばってくれました
こればっかりは母の力の及ぶところではありません
ただし、家に来てくれた友達を
熱烈歓迎オーラ全開で出迎えることくらいならできます
「いつ来ても歓迎してもらえる」 と
思ってもらえるような雰囲気作りを、常に心がけていました。
先輩ママの言うことにゃ、とにかくその中の誰かが
いざという時に助けてくれるはずなんです
いくらパパと仲良くしても
PTAの学級委員しても
カリスマ治療家にかかっても
高額サプリを飲んでも
その誰かは来てはくれません
最終的に
子どものために、できることは何でもします
そんな感じでした。
でもこれって、それでよかったんだと思います。
過保護なんかじゃないですよ。
元気になったら、子どもなんて勝手に離れていきますからね
子どもが弱って助けを必要としている時に、手を差し伸べられるのは
だけです。
そして、中学・高校と終えた今、分かったことは…
実は
息子と関わった人が全員が
いざという時に助けてくれる人だったんです
周り中の友達が、先生方が
そして一緒に学級委員をやったお母さんたちが
全員、息子のことを心配してくれて
全員、息子のことを大事に思ってくれて
全員、息子のことを可愛がってくださって
全員、母のことも思いやってくださって…
それがあったから、息子は高校を無事卒業でき
第一志望大学にも合格することができたのです
そしてその後も
友だちを大切にするありがたさが身に染みた息子は
その後の大学生活でも、周りの人たちとの関わり合いの中で
その精神を発揮して、円滑な人間関係を築いています(多分)
息子が大学生になってから、母はもうPTAとの関わり合いはありませんが
その分、地域社会でのボランティアを継続して行っています。
そこからは相変わらず、温かく力強いエネルギーを得ることができています
そしてさらには
このブログのお陰でいろんな方と巡り会うことができ
そこでもありがたいご縁と、感謝の和を築くことができています
2年経って、不登校時代を脱した今も
この8つの心得はしっかりと功を奏している
…てことは…
これ、不登校の子の母に限らず
機嫌よく生きていくため
心得ていればいいことでは…
な~んてね
病気なんて、不登校なんて
なんでこんなこと、我が身に我が子にふりかかるのだろう
こんなこと、経験したくないのにーっっ
8年間、そう思い続けながら
それでも、我が子のため
がんばってきた、あれやこれや…
それは決して無駄じゃなかったのかもしれません。
それどころか、その努力こそが
そのままかけがえのない宝物となって今
母の
そして、愛する我が子の
人生を豊かにする糧となってくれているのかもしれません。
私にこの8つの心得を教えてくれた、先輩ママさんたち、ありがとう
息子の力になってくださった皆さん、ありがとう
そんな皆さんに巡り合わせてくれた神さま、ありがとう
今こうして、ブログを読んでくださっている皆さん、ありがとう
このブログからご縁をいただき、繋がってくださっている皆さん、ありがとう
まひろはとても幸せ者です
12月も後半に入り、いよいよ気ぜわしくなってきました。
皆さま、お風邪などひかれませんように
最後までお読みくださり、ありがとうございました
相変わらず、記事長いなーって
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昼夜のリズムが4日間くらいいい感じにできかけてたのに昨日体調がよくなさそうな感じもあって無茶苦茶な夜でした💦笑
すっかり昼夜逆転した気がしますがまた頑張ります笑