きちんと学びたいブロガーのための素振り入門
うちの職場に半年ほど前に入ってきたパートさんJ。
私と2歳違いであるが、ここに来る前は25年間、とあるカフェのマネージャーをやっていた。
責任者経験があるだけに、初日から客のあしらいは抜群であった。
来た客は多分、Jがここのマネージャーだと思うであろう。
そんな貫禄と余裕を持ち合わせていたため、私はこの人が数年してうちの全ての仕事内容を把握したら、マネージャー(私は店長と呼んでいるが)になってもおかしくないと思っている。
さてそんな中、うちの2人のチームリーダーのうち1人の(チームリーダーはバイト達スタッフのリーダーの意味)25歳が、このJに対し当りがキツい。
単純に25歳がJと合わないのだと私は見ていてそう思うが、年配のJは気にしていない素振りを貫いている。
それでも、25歳が偉そうに上から言う時、私はJが葛藤している事も見えてしまう。
入って半年なのに、Jが慣れた感じなのも上手に手を抜くのも気に入らないと思う。
それも分かる。
20代の私がそうだった。
20代で人の上に立った時、役職が私をトゲトゲ人間にした。
完璧に仕事をする自分同様、同僚と部下にも同じ完璧さを求めた。
少しのミスも許さず、常にアンテナを張り巡らせ、蛇のような女だったと自分でそう思う。
だから25歳はJの100%ではない、89%の仕事ぶりを許せない。
25歳が許せないのはJだけではないが、Jに対して舐められたくないという気持ちもあるのかも知れない。
金曜日は早朝からブラックフライデーに踊らされた客で大混雑していた店内。
私は朝からJとレジを担当していたのであるが、客が途切れた時にJが私に「あの25歳が私に対してキツイ」という話を持ち出した。
私は言った。
「私もカチンと来る事はある。正直25歳の青二才が偉そうに言うなと思う事もある。でも若さ故の許容範囲の狭さとトゲなのだと分かるから、一歩引いて自分のやるべき事をやるだけ」だと。
Jは少し落ち着いた様子で「そうやな」と笑った。
私がこう言えるのは、イギリスに来た最初の年に打ちのめされる思いをしたからである。
イギリスに来てすぐ、ありつけたのは保育園の仕事であった。
12か月から16か月の赤ちゃんのクラスである。
クラス内の私の上司は18歳と17歳、そして私30歳。
恐ろしいまでに何もしないイギリス人スタッフ18歳と17歳。
私はこの2人に指示されるがまま、およそ1年働いた。
床掃除、オムツ交換、ゴミ捨て、3人ですべき仕事が全て私になった。
しかし英語が上手でなかった私は引けもあり、仕事にありつけるだけ有難いという思いから、保育園経営者に何も言えないまま1年を過ごしたのであった。
毎日、泣きながら帰った。
自分は日本の病院で主任だった、しかしそれが何だというのか・・外国に来て初めて味わった屈辱と挫折感、そこにホームシックが追い打ちをかけ、私の心は音を立てて折れたのだった。
打ちのめされるとはこういう事か、その時初めて知った。
しかし、その経験が私を強くし今に至る。
結局、仕事など金のため。
自分の責任を果たして帰る。
それが仕事である。
私はJにその事を話した。
Jは「弱音を吐いてゴメン、でも有難う」そう言い再び笑顔になった。
時々思う。
私はあのまま日本で主任を続けていたら、何も知らない視野の狭いお山の大将主任であったことである。
それがイギリスに来て下っ端になり、使われる事からここまで来た。
だから経験に無駄無し、父が言った言葉が今はよく理解できると共に、仕事がある身に感謝できるのだと思う。
極寒であるがカーライル生活も無意味ではない。
素振りをリーズナブルな通販価格でお届けします
皆様こんにちは
最近頭が寒くて
夜中目を覚まします
ゲーハーには辛い季節がやってまいりましたね
いや~
昨日も寒かったですわよ~
夜は道路も凍ってて
ちょいとビビりました私。
テッカテカアイスバーンの
結構急な下り坂のカーブ
こわすぎー
ロードヒーティングになってない意味がまったくわからないー
はい
そんな雪降る中
昨日わたくし
旧友と10年ぶりに会ってまいりました~
正確には12年ぶり。
10代だった彼女は31歳になっていて
久々に会う彼女は
びっくりするほど変わっておらず
自然体で
のほほんとしてるかと思いきや
実は芯のある
しっかりはっきりとした性格
あ~
そうだったそうだった
彼女ってこういう人だったんだよなぁ
いろんな話をしながら
そんな事を考えていました。
この会えてなかった10年の時間の中で思っていた私の彼女への印象は
おっとりしていて
みんなに優しくて
いつも笑っていて
どちらかというとアクが無いような
素直な女の子
だからきっと病気の話をしたら
ショックを受けて泣いちゃうんじゃないかしら…
気を使って自分の話なんかできなくなっちゃうかもしれないなぁ…
なんて思っていたのです。
なので
楽しい会話の中
んー
なんか
今日言わなくてもいいかなぁ別に
今度軽くメールとかで
実はさーなんて話してみようかしら
そう思っていたのですが…
色々話す中で
彼女の子供の時の話になり
驚くことに
「私が中学の時にお母さんがね乳がんになったんだけどね」
そう話始めたのです
私びっくりして
思わず
あ、やっぱり今伝えよう
そう思い
あのね
今言ってたお母さんの病気の話
実は
私もそうなのよ
今日言おうか迷ってて…
やっぱり言わなくていいかなぁとも思ったんだけど
そんな時にお母さんの話してくれたから
あ、これ今だよな!って思って…
そう言うと
え?!ちーさんが?!
と驚いてはいたけれど
そうだったんだね~と
過度に心配する素振りも
無理に明るく振る舞う素振りもせずに
ものすごく自然に受け入れてくれました。
そう
彼女は私が思うよりもずっと
強くて頼もしい人だったのです
私のお母さんも
手術をして抗がん剤もしたけれど
抗がん剤がとても辛く
悩んだ末に止める決断をして
ホルモン療法だけを8年やり
15年経った今も元気にしている。そう話してくれました
そばでお母さんの闘病を見て支えてきた彼女だから
なんだかスムーズに話が進んで
余計な説明も必要なかったし
本当に話せてよかった。
そして病気の話はその一瞬だけで
あとは昔遊んでた時の話や
会っていなかった10年の間に起こった色々な話をゲラゲラ笑いながらして
ランチのお店に閉店近くまで居たあと
カフェへ移動し、カフェの閉店時間まで話をしました笑笑
(どんだけー)
なんで女子ってこんなにも話がつきないんでしょうかね
笑
そして彼女は
お母さんがガンになった時
お父さんは他にいい人ができて家に帰ってこなくなってしまって
その時中学生だった彼女は
弟と共に出来る限りお母さんを支え
お母さんも子供たちに心配をかけないよう
懸命に戦ったと、話してくれました。
その後子供のため、と
踏ん切りをつけられないお母さんに
「もうお母さん離婚しよう。無理するのはもうやめよう!」
そう彼女が背中を押し
お母さんは離婚に踏み切った、と。
そんな話に私思わず胸と目頭が熱くなり
お母さんの気持ちや彼女の気持ちを想像すると
簡単にかけられる言葉は見つからず
あぁそっかぁ…
彼女から感じるこの揺るがない強さは
こういうことで身に付いたものだったんだなぁ
強くならざるを得なかったんだなぁ
そう感じたのです
人生って色々だなぁ
ほんとに
みんな色々あるのよね
10年前はこんな話したことなかったなぁ
しなかったのか
できなかったのかわからないけれど
今はこんなに深い話ができて
昔よりももっと
楽しい時間を過ごすことができる
しみじみとご縁を感じておりました、わたし
彼女もちょうど
仕事を辞めようか悩んでいたらしく
私に会えて
病気の話も含めて色々と話せて
収穫があったよう
本当に会えてよかった!と
ガッキーばりの爽やかスマイルで言ってくれました~
車を降りる間際に彼女が
「なんか、うん。ちーさんは大丈夫。なんかそういう気が出てるから、ちーさん大丈夫だわ!」
そう言ってくれたのです
またすぐに会う約束をして
私はなんだかとても温かい充実感を胸に家路へとついたのです
みなさま色々とご相談にのってくださって
本当にありがとうございました!
おかげさまで
病気の事話したって意外と大丈夫よ~
というお姉さまやお兄さまからのアドバイスに勇気づけられまして
先輩の言うことは聞くものですね~
↑なぜか上から目線ー笑
さすがっす!パイセン!
↑イラッとするー
どうぞこれからもご指導ご鞭撻のほど
よろしくお願いいたします
↑調子いいタイプ
とても居心地のよいカフェでございました。
閉店までいてごめんあそばせ
ニヤニヤしながら私の動画撮る彼女
を、ニヤニヤしながら撮る私。
楽しい時間にパワーをもらった1日でした!
それでは今日はこのへんで
失礼いたします
素振りの通販限定品に注目、いろとりどりの商品が沢山入荷してます。
うちの職場に半年ほど前に入ってきたパートさんJ。
私と2歳違いであるが、ここに来る前は25年間、とあるカフェのマネージャーをやっていた。
責任者経験があるだけに、初日から客のあしらいは抜群であった。
来た客は多分、Jがここのマネージャーだと思うであろう。
そんな貫禄と余裕を持ち合わせていたため、私はこの人が数年してうちの全ての仕事内容を把握したら、マネージャー(私は店長と呼んでいるが)になってもおかしくないと思っている。
さてそんな中、うちの2人のチームリーダーのうち1人の(チームリーダーはバイト達スタッフのリーダーの意味)25歳が、このJに対し当りがキツい。
単純に25歳がJと合わないのだと私は見ていてそう思うが、年配のJは気にしていない素振りを貫いている。
それでも、25歳が偉そうに上から言う時、私はJが葛藤している事も見えてしまう。
入って半年なのに、Jが慣れた感じなのも上手に手を抜くのも気に入らないと思う。
それも分かる。
20代の私がそうだった。
20代で人の上に立った時、役職が私をトゲトゲ人間にした。
完璧に仕事をする自分同様、同僚と部下にも同じ完璧さを求めた。
少しのミスも許さず、常にアンテナを張り巡らせ、蛇のような女だったと自分でそう思う。
だから25歳はJの100%ではない、89%の仕事ぶりを許せない。
25歳が許せないのはJだけではないが、Jに対して舐められたくないという気持ちもあるのかも知れない。
金曜日は早朝からブラックフライデーに踊らされた客で大混雑していた店内。
私は朝からJとレジを担当していたのであるが、客が途切れた時にJが私に「あの25歳が私に対してキツイ」という話を持ち出した。
私は言った。
「私もカチンと来る事はある。正直25歳の青二才が偉そうに言うなと思う事もある。でも若さ故の許容範囲の狭さとトゲなのだと分かるから、一歩引いて自分のやるべき事をやるだけ」だと。
Jは少し落ち着いた様子で「そうやな」と笑った。
私がこう言えるのは、イギリスに来た最初の年に打ちのめされる思いをしたからである。
イギリスに来てすぐ、ありつけたのは保育園の仕事であった。
12か月から16か月の赤ちゃんのクラスである。
クラス内の私の上司は18歳と17歳、そして私30歳。
恐ろしいまでに何もしないイギリス人スタッフ18歳と17歳。
私はこの2人に指示されるがまま、およそ1年働いた。
床掃除、オムツ交換、ゴミ捨て、3人ですべき仕事が全て私になった。
しかし英語が上手でなかった私は引けもあり、仕事にありつけるだけ有難いという思いから、保育園経営者に何も言えないまま1年を過ごしたのであった。
毎日、泣きながら帰った。
自分は日本の病院で主任だった、しかしそれが何だというのか・・外国に来て初めて味わった屈辱と挫折感、そこにホームシックが追い打ちをかけ、私の心は音を立てて折れたのだった。
打ちのめされるとはこういう事か、その時初めて知った。
しかし、その経験が私を強くし今に至る。
結局、仕事など金のため。
自分の責任を果たして帰る。
それが仕事である。
私はJにその事を話した。
Jは「弱音を吐いてゴメン、でも有難う」そう言い再び笑顔になった。
時々思う。
私はあのまま日本で主任を続けていたら、何も知らない視野の狭いお山の大将主任であったことである。
それがイギリスに来て下っ端になり、使われる事からここまで来た。
だから経験に無駄無し、父が言った言葉が今はよく理解できると共に、仕事がある身に感謝できるのだと思う。
極寒であるがカーライル生活も無意味ではない。
ウォール街が選んだ素振りの10個の原則
11月29日(木)
雨が降るかもと心配したけど
日中は日射したっぷり
馬場も全く問題ないし
さてラーちんはと…
あれま
入り口で待ってるよ
いい心がけだ
まずは調馬索ね
交えつつ…
突然暴走し出した
何だ何だ
よく見たらプロテクターが
1つ外れかかってる
それがプラプラして
踏んじゃうもんだから
プチパニック
止まってくれれば
外してもらえるのにそれが
後に自力では取れないと
観念して停止
今日はひなぎくさんも見えて
同時刻に騎乗
なので一旦ラーは丸馬場へ
久しぶりの丸馬場
だいぶさっきの暴走で
張りは取れたみたいね
変えてみた
何かもうたてがみボサボサだな
今日はわりとしっかり
運動できた
汗もしっかりかいたので
砂浴びでリフレッシュ
ラーちんお疲れ様
さて次はP-sukeだ
また日陰でまったりしてる
今日もP-sukeは散歩から
P-sukeってば相変わらず
つれない素振り
どんまいブッチ
ニンジンでも食べて元気出せ
って投げたら微妙な位置に落下
頑張れブッチ
もう一息
やっぱり?
よし
じゃもう1個投げるよ
どうだっ
さっきより遠いじゃん
お
もう1回そっちいく?
自分の唇で更に遠くに動かした
とうとうどうにかしろ
と
目で訴えてきた
もはや前肢を
柵から出そうとしてる
わかったわかった
私が降りるから
悪かった悪かった
やっと人参を食べられたブッチ
動かず待ってたP-suke
不思議そうなJくん
お騒がせしました~
また散歩に歩き出しIさんと
ご挨拶
もちろんリベくんにも
馬場に戻って少し運動して
今日はちょっと意地悪
おやつとは逆方向に歩く
『間違ってるよ~っ
』って
私を引っ張ってくるP-suke
可愛すぎる
こんなに可愛くていいのか
(
親バカ)
P-sukeは癒しだわ~
さ、P-sukeに癒されたから
あの暴れん坊の手入れでもすっか
そうあんたの事よ
おやつをもらう時だけ
可愛いい顔して
今日も後ろから~
前から~
気が抜けないよ~
でももう恐くないけどね
その点P-sukeは楽だわ~
いつかこんな風にラーもなるかなぁ
今度は体を拭き拭き
おやつは?の顔
これでしょー?
ん?
あっち?
こうやって覚えてたのか
賢いのかおバカなのか…
ラーちんの観察眼恐るべし
日曜も頑張ってよ~
またね
なぜか素振りが高円寺で大ブーム
皆様こんにちは
最近頭が寒くて
夜中目を覚まします
ゲーハーには辛い季節がやってまいりましたね
いや~
昨日も寒かったですわよ~
夜は道路も凍ってて
ちょいとビビりました私。
テッカテカアイスバーンの
結構急な下り坂のカーブ
こわすぎー
ロードヒーティングになってない意味がまったくわからないー
はい
そんな雪降る中
昨日わたくし
旧友と10年ぶりに会ってまいりました~
正確には12年ぶり。
10代だった彼女は31歳になっていて
久々に会う彼女は
びっくりするほど変わっておらず
自然体で
のほほんとしてるかと思いきや
実は芯のある
しっかりはっきりとした性格
あ~
そうだったそうだった
彼女ってこういう人だったんだよなぁ
いろんな話をしながら
そんな事を考えていました。
この会えてなかった10年の時間の中で思っていた私の彼女への印象は
おっとりしていて
みんなに優しくて
いつも笑っていて
どちらかというとアクが無いような
素直な女の子
だからきっと病気の話をしたら
ショックを受けて泣いちゃうんじゃないかしら…
気を使って自分の話なんかできなくなっちゃうかもしれないなぁ…
なんて思っていたのです。
なので
楽しい会話の中
んー
なんか
今日言わなくてもいいかなぁ別に
今度軽くメールとかで
実はさーなんて話してみようかしら
そう思っていたのですが…
色々話す中で
彼女の子供の時の話になり
驚くことに
「私が中学の時にお母さんがね乳がんになったんだけどね」
そう話始めたのです
私びっくりして
思わず
あ、やっぱり今伝えよう
そう思い
あのね
今言ってたお母さんの病気の話
実は
私もそうなのよ
今日言おうか迷ってて…
やっぱり言わなくていいかなぁとも思ったんだけど
そんな時にお母さんの話してくれたから
あ、これ今だよな!って思って…
そう言うと
え?!ちーさんが?!
と驚いてはいたけれど
そうだったんだね~と
過度に心配する素振りも
無理に明るく振る舞う素振りもせずに
ものすごく自然に受け入れてくれました。
そう
彼女は私が思うよりもずっと
強くて頼もしい人だったのです
私のお母さんも
手術をして抗がん剤もしたけれど
抗がん剤がとても辛く
悩んだ末に止める決断をして
ホルモン療法だけを8年やり
15年経った今も元気にしている。そう話してくれました
そばでお母さんの闘病を見て支えてきた彼女だから
なんだかスムーズに話が進んで
余計な説明も必要なかったし
本当に話せてよかった。
そして病気の話はその一瞬だけで
あとは昔遊んでた時の話や
会っていなかった10年の間に起こった色々な話をゲラゲラ笑いながらして
ランチのお店に閉店近くまで居たあと
カフェへ移動し、カフェの閉店時間まで話をしました笑笑
(どんだけー)
なんで女子ってこんなにも話がつきないんでしょうかね
笑
そして彼女は
お母さんがガンになった時
お父さんは他にいい人ができて家に帰ってこなくなってしまって
その時中学生だった彼女は
弟と共に出来る限りお母さんを支え
お母さんも子供たちに心配をかけないよう
懸命に戦ったと、話してくれました。
その後子供のため、と
踏ん切りをつけられないお母さんに
「もうお母さん離婚しよう。無理するのはもうやめよう!」
そう彼女が背中を押し
お母さんは離婚に踏み切った、と。
そんな話に私思わず胸と目頭が熱くなり
お母さんの気持ちや彼女の気持ちを想像すると
簡単にかけられる言葉は見つからず
あぁそっかぁ…
彼女から感じるこの揺るがない強さは
こういうことで身に付いたものだったんだなぁ
強くならざるを得なかったんだなぁ
そう感じたのです
人生って色々だなぁ
ほんとに
みんな色々あるのよね
10年前はこんな話したことなかったなぁ
しなかったのか
できなかったのかわからないけれど
今はこんなに深い話ができて
昔よりももっと
楽しい時間を過ごすことができる
しみじみとご縁を感じておりました、わたし
彼女もちょうど
仕事を辞めようか悩んでいたらしく
私に会えて
病気の話も含めて色々と話せて
収穫があったよう
本当に会えてよかった!と
ガッキーばりの爽やかスマイルで言ってくれました~
車を降りる間際に彼女が
「なんか、うん。ちーさんは大丈夫。なんかそういう気が出てるから、ちーさん大丈夫だわ!」
そう言ってくれたのです
またすぐに会う約束をして
私はなんだかとても温かい充実感を胸に家路へとついたのです
みなさま色々とご相談にのってくださって
本当にありがとうございました!
おかげさまで
病気の事話したって意外と大丈夫よ~
というお姉さまやお兄さまからのアドバイスに勇気づけられまして
先輩の言うことは聞くものですね~
↑なぜか上から目線ー笑
さすがっす!パイセン!
↑イラッとするー
どうぞこれからもご指導ご鞭撻のほど
よろしくお願いいたします
↑調子いいタイプ
とても居心地のよいカフェでございました。
閉店までいてごめんあそばせ
ニヤニヤしながら私の動画撮る彼女
を、ニヤニヤしながら撮る私。
楽しい時間にパワーをもらった1日でした!
それでは今日はこのへんで
失礼いたします