電気のことなら教師
智 Side
あれから・・・
俺が眠る部屋に櫻井が訪ねて来ては
ベッドに横たわる俺を覗き込み
— 先生、大丈夫?
— 先生を守れなくってごめん・・・
何度も・・・
何度も・・・
今にも泣き出しそうな瞳で俺に囁く。
その懺悔の言葉にどう答えればいいのかわかんねぇ俺は
寝た振りをしてやり過ごしていた。
そんな日々を数日過ごしていると身体に走る痛みも和らぎ
ベッドに寝たきりだった生活からなんとか起き上がれるようになり
ベッドヘッドにもたれてなら少しの時間、座っていられる様になると
今までの櫻井からは一変し
芹沢さんとの事には一切触れず、明るく話しかけてくる櫻井。
— 先生、甘いもん好き?
— これなら、食べれる?
朝に夕に・・・
厭きもせず俺の部屋に何かしらの食べ物を手にしてやってくるようになった。
俺自身、あんな姿を見られちまった羞恥心もあり
櫻井から向けられる笑顔に耐えられなくなっちまって
翔くんからの
— ここじゃ、子供達の目もあるし
鎌倉の別荘に移ってゆっくりしないか?
・・・と、その申し出に首を縦に振った。
正直、そう言った翔くんの本音が何処にあるのかわかんなかった。
俺が高熱と痛みで臥せっている間に
俺の知らないとこで話が進められちまってて
意識がハッキリした時には翔くんとこの顧問弁護士とやらが
何枚にもなる書類を持ってきて
その弁護士に薦められるままその書類にサインをさせられ
心配そうに見つめる翔くんに言い包められる様なかたちで
何時の間にか学校も退職していた。
こんな・・・
担任になって直ぐに辞めちまうなんて
他の親御さんたちがやれ責任感がないだのと文句を言ってるだろう。
その顔が浮かんで溜息が出そうだったが
流石にあそこに戻るのは俺も無理だろうとは考えていたから
芹沢さんが俺から誘ってきたと言ってるらしいと聞かされた時
俺は・・・
それでいいんじゃねぇかと思った。
表向きは違ってもそれが退職の理由になるんなら
芹沢さんも理事もホッとする筈だ。
二人の体面をそれでなんとか出来るなら
俺は・・・
それでいいんじゃねぇかと思った。
それに・・・
芹沢さんも翔くんが好きだったんだ。
翔くんと芹沢さんは親戚だって言うんなら
きっと・・・
俺なんかよりもっと先に翔くんのことを・・・。
なら・・・
俺はあれくらいされても当然だ。
翔くんを奪い
そして父親である理事とも関係を持っちまってたんだ。
俺は・・・
芹沢さんから罰を受けても当然の報いだ。
だから・・・
俺は翔くんが
— 智くん、本当は違うんだろ?
智くん、本当のことを話して・・・
そう何度訊かれても俺から誘ったとしか答えなかった。
それが・・・
傷つけてしまった芹沢さんへの俺のせめてもの懺悔だったから。
翔くんは腑に落ちないって顔してたけど
こうなった経緯には翔くんの残したメモが要因でもあるからか
言いたい言葉をグッと堪えて
— 智くんがそう言うなら・・・
もう、これ以上は何も訊かない。
だけど・・・
学校は退職してもらう。
智くんの家には連絡しておいた。
安心して、心配されないように旨く話しておいたから。
そう言って
— 俺をこれ以上、不安にさせないで。
なんて・・・
俺を棄てた癖に
そして・・・
俺の気持ちなんかお構いなしに勝手に抱いた癖に
心底心配してますって顔して俺を見つめるんだ。
バカな俺は・・・
その翔くんの顔に
その翔くんの声に
手酷く振られたことも忘れちまって
— 二人だけの時間を過ごそう。
もう、智くんを離さないから・・・
そんな翔くんからの愛の囁きに酔った俺は
鎌倉にある別荘へ櫻井達がいない間を見計らうように
翔くんが運転する車で向かった。
まさか・・・
夏休みになった櫻井が俺を探して来るなんて考えもせずに。
その櫻井に・・・
翔くんに抱かれる姿を見られちまうなんて考えもせずに。
また・・・
誰かを傷つけちまうなんて
この時の俺は・・・
再び手に入れた翔くんとの愛に酔ってて気づかなかった。
俺はまた・・・
バカな失敗をしちまった。
心に傷を負っちまってたから・・・
記憶がどこか曖昧だったっから・・・
そんな言い訳なんかで許される筈もない失敗を。
翔side
心も身体も傷つき、笑顔を見せなくなった智くんを
少しでも癒やしてあげたくて
鎌倉の別荘へ連れてきて半月が過ぎた
初夏の風が、湿った空気を孕んで
庭の紫陽花を揺らしている
窓の外を眺める、その視線の先
色とりどりに、鮮やかに色付いて咲き誇る紫陽花が
智くんの瞳にはどんな色に映っているのか…
言葉もなく、静かに佇むその姿に不安が募るばかりだった
西島先輩や弁護士と相談の上で、
子供達には黙って、智くんを別荘へ連れて来た
偶然、暴行の現場に居合わせて
智くんを家に連れ帰ってきてくれた子供達には
本当に感謝している
しかし、教師という立場で
彼らと向き合わなければならないのは苦痛以外の何ものでもないだろう
現に、潤が朝晩、元気づけようとしている様子は健気で
我が息子ながら、その優しさは見習いたいけれど
智くんが心を開くにはまだ日が浅いのも事実だった
せめて…もう少し傷が癒えれば
潤とも話せるようになるだろう
まさか彼を捜して、別荘へやってくる程
深い想いを抱いているとは思ってもみなかった
俺は、あの頃と変わらず
自分勝手で
家族より智くんの事しか見えていなかった
否、彼の事だって…本当の気持ちを思いやる事も
言葉の裏側にある真実も見えてはいなかったのだ
『自分が芹沢さんを誘ったから…自業自得なんだよ…』
それ以外の言葉を発しない智くんが痛々しくて、
彼を守れなかった自分の力のなさが歯痒くてたまらなかった
彼がどんな想いで
、直人を庇っているのか
何故、そうしているのか…
その理由を知ろうともしないで
ただ、直人を憎んでしまった
直人が俺に、想いを寄せてる事も
智くんが理事と関係を持っていた事も…俺は知らないまま
闇雲に、憎しみだけを深くしていた
あの日…ホテルで、智くんを抱き潰し
何も言わずに置き去りにした自分を棚に上げ
他人ばかりを責めていたんだ
気持ちよさそうに寝ていた彼を起こすのが
心苦しかったなんて、都合のいい綺麗事だ
目を覚ました智くんに
「…やり直したい…」
と、告げる勇気の欠片さえなかったのだ
…断られるかもしれない…
それが怖くて
自分が抱いた気持ちをはっきりと告げる事が出来なかった
たとえ…想いを告げられなくとも
抱きしめ続けていれば
メモだけを残して、彼をひとりになんてしなければ
こんな事にはならなかったのに…
後悔ばかりが胸をよぎり
心が押し潰ぶされそうだった
いま、自分に出来るのは
彼をひとりにしない事と
自分の腕の中から離さない事だと
思い込み過ぎて
智くんの自由さえ奪ってしまっていた
後ろめたさと、自分よがりの欲望…
俺は、自分の思い通りに事が運ぶ事だけが
正しいのだと勘違いしていたんだ
「ねぇ…もう食べないの?
もう少し、食べないと治るものも治らないよ?」
取れたての魚の刺身を
二口ほどつまんで、箸をおいてしまった智くんへ
少しおどけて、話しかけた
「…ごめんね…
でも、もうおなかいっぱいなんだよ…」
そう言って、ついっと気まずそうに目を逸らす智くんの横顔と
青く薄い瞼が、あまりにも綺麗で
思わず見惚れてしまう
彼がこんなにも、傷ついた原因は
少なからず自分にあるのに…
肋骨だってひびが入って
所々、紫色に変色した痣と瘡蓋が残る身体の智くんに
欲情してるなんて…
一体、自分はどれだけ彼を欲していたのだろう…
離れていた間は、想いに蓋をして
思い出さないようにしていたから平気だったのだろうか?
そばに置いて、彼の匂いや温もり
そして、ほんのりと熱のこもった眼差しを向けられるだけで
どうして離れていられたのか、不思議で仕方がなかった
俯いたまま、静かに立ち上がり
部屋へ戻ろうとする智くんの細い手首を
気付けば、捕まえていた
「っ…翔くん?…痛いよ…」
智くんは、びくりと身体を固く緊張させた
震える唇からは、消えそうな声音で
俺の名を呼ぶ呟きが漏れた
今にも泣き出しそうに揺れた瞳と目があった瞬間
煽られるように、彼を強く抱きしめていた
「…智くん、好きだよ。
もう離さないから…
二度と、離さないから…」
俺の言葉が耳に届いているのか…
智くんは、ガタガタと震えながら
抱きしめられるだけの人形のようだった
「…大丈夫、大丈夫だよ?
智くん…俺だよ…
もう、誰にも触れさせたりしない。
だから、安心して?」
背中をさすりながら、何度も何度も
彼の名前を耳元で呼び続けた
何度も「大丈夫だよ」と
優しく声をかけ続けた
やがて、力なく身体の重みを俺に預けた智くんから
悲痛な嗚咽が溢れ出した
「…ごめ…ん…
ごめん…な…さい…」
誰に謝っているのか…
泣きながら
「ごめんなさい」と、声にならない吐息のような言葉を溢れさせる彼を
俺はただ、抱きしめるしか出来なかった
どれほどの時間、そうしていただろうか
泣くだけ泣いて落ち着いたのだろう
彼は、ふうっ…と溜め息を漏らして
俺の胸に預けていた頭を持ち上げた
痩せた頬を伝う涙を、指先で拭えば
智くんが閉じた瞳を細く開けて、鼻先が触れる距離で俺を見つめた
どんな言葉を重ねるよりも
たったひとつのキスや
身体を重ねる事で
気持ちを伝えあえる場合がある…
「…智くん…愛してるよ…」
その言葉に、彼の瞳から
またぽろぽろと綺麗な涙が零れ落ちた
俺はそれを唇で受け止め
唇を重ね合わせた
ふるっ…と震えた身体をギュッと抱きしめ
「…愛してる…」と繰り返した
唇の隙間から、中に舌先を入れて
くちゅり…と水音が響きだすと
智くんが「…嫌だ…」と首を横に小さく振った
「…ごめん…怖かったよね?」
思わず、抑えきれない欲情に負けそうなった
「ち、ちがっ…違うの…」
「ん…何?…言っていいよ?」
智くんは、ゴクリと唾を飲み込むと
震える声で…
でも、俺の目をしっかりと見つめて
「…僕…よ、汚れてるから…
凄く、汚れてるから…
…翔くんとは、もう…出来ない…」
ハッと息が止まってしまった
そんな事ないのに…
そんな事、考えてもみなかった
「…汚れてるんだよ…
だから…もう…
あの時みたいに、僕を抱けないって言ってよ…」
そう言うと、また俯いて
小さく嗚咽を漏らした
智くんの様子がおかしい
こんな風になるまで俺は…どれだけ智くんを傷つけてしまったのだろう
「…智くん…
きみは、汚れてなんかいない!
ずっと…
ずっと忘れられなかった…
智くん、きみを心から愛してるんだ」
ふるふると、首を横に振る智くんの頭の後ろに手を回して
唇を塞いだ
「…やだ…汚れ…てる…」
そう、繰り返し
抵抗する智くんの身体を押し倒して
シャツの隙間から手を入れて、滑らかな肌を撫でた
「汚れてなんかいないよ
…凄く、綺麗だ…」
「…し…翔くん…」
「なぁに?」
俺の下で、体温を上げ始めた智くんに名前を呼ばれた
「…信じて…いいの?」
その瞳は不安で揺れていた
「…智くん、愛してる…
俺を、許して欲しい
…やり直したいんだ…
身体だけじゃなく、心も…
全て繋ぎたい…」
思いを込めて見つめ返すと
智くんの腕が、俺の背中に回り
ギュッと抱きしめられた
「…翔くん…ありがとう…」
智くんが、何度めかの涙を零し
俺達は、やっと…
心も身体を重ね合わせる事が出来た
それが…
浅はかな俺の欲望が、また智くんを傷つけ
潤を傷つけることになるなんて
思いもよらずに…
俺は、智くんの温もりと熱に溺れてしまっていた
僕たちが待ち望んでいた教師
教師なんて実はどうでもいいことに早く気づけ
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