だけじゃない、教師
わたしの母は、わたしたち姉妹を大切に大切に育ててくれた。大切にしすぎて過保護なくらいだった。恩知らずな娘だったわたしは、思春期の頃になると世話を焼こうとする母が疎ましくすらあった。
当時のわたしには、どうしてなのかさっぱりわからなかったが、母はわたしたちのなにもかもが心配で、なにもかも世話を焼いてあげたいと思ってくれていたようだ。
おかげでわたしは実家を出る18歳までほとんど食器を洗ったことすらなかった。掃除や洗濯を手伝えと言われた記憶もない。ママがやるからやらなくていい。手を出そうとすると、いつも言われていた。家業の手伝いだけ、時どき、ほんの少しやっていた程度だ。
こうして文字にすると改めて驚く。ほかにも、ちょっと言えないくらいの過保護エピソードもある。わたしたち姉妹はほんとうに甘やかされいた。
大人になった今も。
母のなかでは、
わたしたちはずっと子どものままで
母のなかでは
わたしたちはずっと面倒を見てあげたい相手
なのだろう。
30歳もとうに過ぎたある日、
わたしたちは姉妹でそんなことを会話した。
過保護ぎみなわたしの母の真骨頂は
いつもわたしの味方でいてくれることだ。
母はいつでも、どんなときも絶対的にわたしの味方をしてくれていた。どんなときもわたしを認め、わたしを肯定してくれた。
驚くほどわたし(または妹の)味方だった。
この世の中で誰よりもわたしたちを裏切らないのは母だと思う。(もちろん父も)
そう思わせてくれるほど母はブレない愛をいつでも与えてくれた。
わたしが望むとも望まないとも関係なく。
わたしがどんな態度をとっても、いつも。
わたしの母はわたしたち姉妹をとても大事に育ててくれた。お世話をして、面倒をみてくれた。
潤沢すぎるほどふんだんに愛情を注ぎ続けて育ててくれた。
わたしが知る「母の愛」の原型は
わたしが受けた母の愛、なのだろう。
幸せなことにこれまでちっとも気にしてなかったけれど。わたしがなつみに注ぐ愛は母がわたしに注いだ愛と同類なのだ、と今なら思える。
母はいつも、自慢の娘だと
わたしたちのことを周囲に言ってくれる。
母はいつも、会うたびに
わたしの外見や服や髪型を褒めてくれる。
昔も、今も。
わたしにとっても、なつみは自慢の娘。
こんなにかわいくて
こんなにすきなわたしの娘。
母の存在、母の愛を空気みたいに思ってたせいで、母がくれた愛にきちんと気づくまでこんなに時間がかかってしまった。
気づけたのは、なつみのおかげだ。
手相、どんなん?
母はわたしに甘い。
わたしは、なつみに甘い。
妹は、というと
子どもたちに激甘であると同時に
しっかりしつけに厳しくて
反面教師という言葉がぴったりくる。
母のありがたさ。
過保護なのは少々いかがかなものかと思うけれど、なつみを大切に思う心は、間違いなく、母から教わった。
あ、父も。
最後に。
どうも母自慢っぽい雰囲気になってしまったが、どちらかというと、過保護すぎてどうよ?ってほどに世話焼きたがりの母と、そんな母の優しさを長いこと蔑ろにしてきた愚鈍な娘の話から始まる、とある親子の世代をまたぐエピソード。
親の姿で子は愛情を知る、って
そうね、そうなのかもね。
なつみはわたしから何を教わるかな。
「あしたかんがえる。むにゃ」
だよね。
教師 私を、私たちにする。
教師心への音楽
教師 関連ツイート
野菜に話しかけるんだ…いつも見た目気にし出すんだ…「ん~またせたねぇ!」とか言うんだ…
ちょっと教師陣!どういう教育なさりましたの?!